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3.11東日本大震災 被災地仙台からのレポート まとめ1 

カテゴリー:かばたのお話カテゴリー:その他いろいろ  / 2011年4月30日

            

            神坂礼子さんのレポート

 「復興、まず自分の心の建て直しから」

今日は41日、エイプリルフール311日東北と関東の太平洋沿岸地方に甚大な被害をもたらしたマグニチュード9.0の大震災から3週間が経つ。地震が、津波が、原発事故が嘘だったらどんなによいか。日本中に暗雲がたちこめ先が見通せない今、ただひとつ確実なのは、地震の前と後で私たちの生活が一変してしまったということ。巨大地震が大津波と放射能までも引き連れ、未曾有の大災害が日本を吞み込んでしまったという事実だ。

 

大地震のその日   

 311日、私は仙台駅前パルコのオフィス棟、マークワンビル14階で仕事の打ち合わせを行っていた。1446分、ドコモの携帯が地震発生の警報を告げ、「これは?」と思った瞬間、もう立っていられないほどの激震を感じ、すぐテーブルの下にもぐりこんだ。そんな私を床から引き剥がすように、縦に横に波打つような強い揺れがひっきりなしに続く。眼下の駅ビル屋上に駐車中の車がフェンスを乗り出しそうになり、白い煙を出すのが見えた。ビル全体が大きく振れ、ガシャン、ガシャンとガラスが壊れる音がして、地震は一向に止む気配がない。あまりの苦痛に顔がゆがむ中、映画「タワーリングインフェルノ」を思い出し、窓からすべり落ちてしまうか、床が抜けて落下してしまうのかという思いが頭をよぎる。もう死ぬのだろうかと思った時に浮かんできたのが家族の顔だった。その瞬間、「生きなければ!」「絶対に生きたい!」という強い思いがこみあげ、「神様助けてください! 私は生きたいのです!」何度も何度も声に出した。後で知ったのだが今回の地震は14分間も続いたという(このすさまじい強度と時間の長さが大津波の原因になるとはその時は知るよしもなかった)。その後、スタッフの誘導で40人ほどが非常階段に向かおうとするが、「15階で火災発生!」とのアナウンスがあり、泣き出してしまう若い女性もいて緊張が走る。

 しかし幸いなことに、落ち着いた誘導で比較的早く脱出できた。仙台駅前にはすでに大勢の人が集まり、不安げな表情で立ちすくんでいた。仙台駅のペデストリアンデッキも損壊が激しく、JR仙台駅もすでに立ち入り禁止だった。覚悟を決め、徒歩で自宅に向かうことにする。その途中で夫に電話が通じた。その日、夫は福島県の相馬に向かう途中で地震に遭ったために引き返し、すでに帰宅していたのだ(後に相馬が大津波で壊滅状態と判明、行っていたらと思うと背筋が寒くなる)

1時間かけて戻った自宅の被害状況は外壁のタイルが落下したり、室内の吊戸棚がズレたり、クロスが破れたり。室内はモノが散乱し足の踏み場がなく、棚から飛び出し食器が半分以上が壊れた。しかし、車で15分の場所で津波によって多くの人命が失われていることを思えば、我が家のことなどは蚊にさされたほどもない。

 

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